年譜
| 1943年1月24日 | 0歳 | 絹谷政幸、ヒデの長男として奈良県奈良市元林院町に生まれる。姉、章子[ルビ:あやこ]がいる。 「家は猿沢池畔に古くからある料亭[明秀館]で、白樺派の作家、東大寺の上司海雲ら文人墨客、アンドレ・マルローら著名人が訪れ、祖父が集めた多くの古美術品に囲まれて育った」(「自筆年譜」『アートトップ叢書 絹谷幸二』芸術新聞社、1992年、125頁) |
| 1950年4月1日 | 7歳 | 奈良学芸大学(現・奈良教育大学)附属小学校に入学。 |
| 1956年4月 | 13歳 | 奈良学芸大学附属小学校を卒業し、奈良学芸大学附属中学校に入学。中学生になり絵に本格的に取り組み、奈良県展に入選し、林武・鳥海青児・海老原喜之助の絵に惹かれてゆく。 「子供の頃から優等生で、いつもクラスでトップだったが、猛烈な野球小僧、腕白坊主であった。物心ついたときから絵筆をとり、小学校一年の頃から担任の西岡義一先生に絵の手ほどきを受けた。また、少年時代からカメラを手にしていた。」(「自筆年譜」『アートトップ叢書 絹谷幸二』芸術新聞社、1992年、125頁) 「中学、高校を通じて美術部と野球部に籍を置く」(「自筆年譜」『アートトップ叢書 絹谷幸二』芸術新聞社、1992年、125頁) |
| 1956年11月 | 13歳 | 奈良県美術展に油彩《ピアノのある静物》を出品、入選。 |
| 1958年 | 14歳 | 独立展(独立美術協会展)に落選。 |
| 1959年3月 | 16歳 | 奈良学芸大学附属中学校を卒業。 |
| 1959年4月 | 16歳 | 奈良県立奈良高等学校に入学。入学して間もなく美術大学受験に向けて準備を始め、1年生の秋には独立美術協会展に出品するが、落選する。 |
| 1962年3月 | 19歳 | 奈良県立奈良高等学校を卒業。 |
| 1962年4月 | 19歳 | 東京藝術大学美術学部油画科に入学。合格の報告をした鳥海青児に「絵はうまくっちゃいけない」とアドバイスをうける。 「最終的に東京芸大を目指したのは、関東の粗けずりな文化に魅力を感じ、奈良の古い文化を出たかったからだ。」(「自筆年譜」『アートトップ叢書 絹谷幸二』芸術新聞社、1992年、125頁) |
| 1964年 | 21歳 | 古美術研究旅行で法隆寺にいき、焼け残った金堂壁画の迫力に圧倒される。この体験がきっかけとなり、大学院では壁画を専攻することになる。 |
| 1964年 | 21歳 | イタリアの壁画家、ラジ・セコンドを通じて古典アフレスコ画法を知る。 |
| 1966年2月 | 23歳 | 東京藝術大学卒業制作展(東京都美術館)にスキューバダイビングでの海の底の印象を描いた《蒼の間隙》《自画像》を出品、《蒼の間隙》で大橋賞を受賞。 |
| 1966年3月 | 23歳 | 東京藝術大学美術学部絵画科(油画科、小磯良平教室)を卒業。 |
| 1966年4月 | 23歳 | 東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻(壁画)に入学。島村三七雄教室でアフレスコ古典画の研究を行う。 |
| 1966年10月 | 23歳 | 独立美術協会第34回展(上野公園・東京都美術館)に《蒼の錯綜》《諧音の詐術》が初入選し、独立賞を受賞。 「独立展には中学三年の頃に一度出品し、落選したことがあった。独立展にあこがれ、欲しくて欲しくてならなかった独立賞を受賞できたので、本当に嬉しかった」(「自筆年譜」『アートトップ叢書 絹谷幸二』芸術新聞社、1992年、126頁) |
| 1966年10月 | 23歳 | 第1回中央美術団体受賞作品展(現在の現代美術選抜展)に《諧音の錯綜》《諧音の詐術》を招待出品。 |
| 1967年5月 | 24歳 | 第6回独立美術選抜展(東京都美術館)に《幻影の跡》を出品。 |
| 1967年10月 | 24歳 | 独立美術協会展第35回(東京都美術館)に《蒼の轢断》《諧音の跡》を出品、再び独立賞を受賞。 |
| 1967年10月 | 24歳 | 第2回現代美術選抜展に《蒼の轢断》《諧音の跡》を出品。 |
| 1968年3月 | 25歳 | 東京藝術大学大学院を修了。4月、同大学副手となる。 |
| 1968年5月 | 25歳 | 第7回独立美術選抜展(東京都美術館)に《蒼い風》を出品。 |
| 1968年10月 | 25歳 | 第36回独立展(東京都美術館)に《蒼の壊乱》《褪紅の岨》を出品。独立美術協会会員となる。以後毎回出品。 「三回の出品で、最短、最年少での会員推挙だった。」(「自筆年譜」『アートトップ叢書 絹谷幸二』芸術新聞社、1992年、126頁) |
| 1969年3月 | 26歳 | 第12回安井賞展(池袋・西武百貨店)に《蒼の壊乱》を推薦出品、入選。 |
| 1969年5月 | 26歳 | 第8回独立美術選抜展(東京都美術館)に《蒼の回折》を出品。 |
| 1969年7月 | 26歳 | グループU展(池袋・西武百貨店)に《蒼》などを出品。 |
| 1969年10月 | 26歳 | 第37回独立展(東京都美術館)に《蒼の隔絶》《蒼の風跡》を出品。 |
| 1970年7月 | 27歳 | 絹谷幸二個展〈命の虚構〉(銀座・資生堂ギャラリー)開催。《偏光の影》《蒼の記憶》など23点を出品。以後ほぼ毎年個展を開催し、独立展とともに制作発表の中心となる。 |
| 1970年7月 | 27歳 | 壁画展(丸の内・サヱグサ画廊)に出品。 |
| 1970年7月 | 27歳 | グループたの会結成。同グループ展(東和画廊)に出品。 |
| 1970年8月 | 27歳 | 東京藝術大学副手を辞任。この年、東京藝術大学壁画科でアフレスコ画の集中講義が行われ、来日したヴェネツイア・アカデミアのブルーノ・サエッティ教授から留学の招待をうける。 |
| 1970年8月 | 27歳 | 新樹会第24回展(日本橋・三越本店)に《蒼の破綻》《蒼の破風》を招待出品。以後1973年まで毎回招待出品。 |
| 1970年10月 | 27歳 | 絹谷幸二個展(奈良有楽会館)開催。 |
| 1970年10月 | 27歳 | 第38回独立展(東京都美術館)に《何故か》《蒼の記憶》を出品。 |
| 1971年 | 27歳 | 阪田京一と二人展(天満屋)開催。 |
| 1971年3月 | 28歳 | 大井宏美と結婚。 |
| 1971年3月 | 28歳 | 71新鋭選抜展(日本橋・三越本店)に《記憶の跡》を選抜出品、優秀賞を受賞。 |
| 1971年3月 | 28歳 | イタリアに私費留学。ヴェネツイア・アカデミアの三年次に入学、ブルーノ・サエッティ教授のもとでアフレスコ古典技法および現代アフレスコ画の研究に取り組む。 「イタリアでは古典に囲まれて勉強したが、その古さだけでなく、その本質と新しいイタリアのセンスを勉強できた。ヨーロッパ各地を旅行し、古典では、ピエロ・デ・ラ・フランチェスカやジョットーの壁画に特に感銘を受け、模写もたくさんした。」(「自筆年譜」『アートトップ叢書 絹谷幸二』芸術新聞社、1992年、126-127頁) |
| 1971年8月 | 28歳 | スペインなどヨーロッパ各地を旅行。 |
| 1971年8月 | 28歳 | 新樹会第25回展(日本橋・三越本店)に《stmattina》《pomeriggio》を招待出品。 |
| 1971年10月 | 28歳 | 第39回独立展(東京都美術館)に《non essere carne ne pesce》を出品。 |
| 1971年12月 | 28歳 | ベビラアックア・ラ・マーサ財団主催展に連作《りんご飛行》を出品、ラ・マーサ賞を受賞。この作品はヴェネツイア近代美術館の買い上げとなり、同美術館での個展開催権を得る。 |
| 1972年 | 28歳 | この年《室内の人》あたりから、色面の輪郭を黒で描く手法が画面に表れる。 |
| 1972年5月 | 29歳 | ミラノ・ヴォルゴニォーボ画廊との専属契約を断る。 |
| 1972年5月 | 29歳 | 絹谷幸二個展(ミラノ・スコットランドハウス)開催。 |
| 1972年6月 | 29歳 | INCONTRO A MOTOVUN展(旧ユーゴスラヴィア)に《モトヴンの月》を出品、パジョン美術館に買い上げられる。のち1973年、1978年にも出品。 |
| 1972年8月 | 29歳 | 新樹会第26回展(日本橋・三越本店)に《アモーレ》《マリア》を招待出品。 |
| 1972年9月 | 29歳 | 第11回国際形象展(日本橋・三越本店)に《風》などを招待出品。以後最終の第25回展(1986年)まで毎年招待出品。 |
| 1972年10月 | 29歳 | 第40回独立展(東京都美術館)に《NELLA CAMERA》《VENEZIA》《室内Ⅱ》出品。 |
| 1973年1月 | 30歳 | 絹谷幸二個展(ヴェネツイア・カバリーノ画廊)で《りんごのある風景》《室内Ⅰ》など40余点を展示。 |
| 1973年6月 | 30歳 | ヴェネツイア・アカデミアを修了。 |
| 1973年7月 | 30歳 | 高松塚古墳の保存対策にあたるため文化庁からローマ中央修復研究所へ派遣され、モーラ教授夫妻のもとで壁画保存の研究を行う。 |
| 1973年9月 | 30歳 | 絹谷幸二個展(ヴェネツィア市立美術館)開催、《りんご飛行》の連作を発表。 |
| 1973年9月 | 30歳 | 2年半のイタリア滞在をへて帰国。 |
| 1973年9月 | 30歳 | 長男・幸太生まれる。 |
| 1973年10月 | 30歳 | 文化庁による奈良・高松塚古墳第三次調査に保存対策委員として石室内調査にあたる。 |
| 1973年10月 | 30歳 | 第41回独立展(東京都美術館)に《パトリッツィアの肖像》《LA MERA》を出品。 |
| 1973年11月 | 30歳 | 絹谷幸二滞欧作品展(銀座・彩壺堂サロン、同分室)開催。ジョット、ウッチェロ、ピエロ・デッラ・フランチェスカなどの古画模写14点と《アンセルモ氏の肖像》《トルソーの涙Ⅰ》《サン・アンジェロ広場にて(ヴェネツィア・春)》など滞欧作20点を出品。 「ちょうど絵画ブームが終わった直後であり、日本でやっていけるものか、不安もあった。しかし、ブームの存在自体も知らず、それに浮かれることなく絵と真摯に立ち向かった結果は、比較的早く認められることとなり、幸いだった」(「自筆年譜」『アートトップ叢書 絹谷幸二』芸術新聞社、1992年、127頁) |
| 1974年2月 | 31歳 | 東京藝術大学出身者による上野の森85年の歩み展(洋画の部)(東京セントラル美術館)に《室内Ⅰ》《回り舞台》を出品。 |
| 1974年3月 | 31歳 | 第17回安井賞展(池袋・西武百貨店)に《アンセルモ氏の肖像》《トルソーの涙Ⅰ》を出品。《アンセルモ氏の肖像》で安井賞を歴代最年少で受賞。《アンセルモ氏の肖像》は東京国立近代美術館買上げとなる。 「僕は独立の常任委員で、会員の絵を推薦する立場だったし、僕の絵が安井賞向きとは思わなかったので、まさか受賞できるとは思わなかった。受賞を知ったときは、妻と抱き合って、飛び上がって喜んだ。安井賞をもらわなければ、もう一度イタリアに行っていたかも知れない。」(「自筆年譜」『アートトップ叢書 絹谷幸二』芸術新聞社、1992年、127-128頁) |
| 1974年5月 | 31歳 | 絹谷幸二個展(奈良文化会館)開催。《ジョット「ユダの接吻」模写》などを出品。《ジョット「ユダの接吻」模写》は奈良県立美術館の買上げとなる。 |
| 1974年10月 | 31歳 | 第42回独立展(東京都美術館)に《サンドラ嬢の肖像》を出品。 |
| 1975年5月 | 32歳 | 第11回現代日本美術展(東京都美術館)に《室内Ⅰ》《アンセルモ氏の肖像》《サンドラ嬢の肖像》を招待出品。 |
| 1975年7月 | 32歳 | 次男・健二生まれる。 |
| 1975年8月 | 32歳 | 絹谷幸二個展(福山・イマヰ画廊)開催。 |
| 1975年10月 | 32歳 | 第43回独立展(新・東京都美術館)に《ダリア・ガナッシィーニの肖像》を出品。 |
| 1975年10月 | 32歳 | 《少女フランソワーズの肖像》《月曜日のクリスティーナ》制作。 |
| 1976年3月 | 33歳 | 6人6様展(新宿・椿画廊)に出品。 |
| 1976年10月 | 33歳 | 独立美術協会第44回展(東京都美術館)に《アンジェラと蒼い空Ⅱ》を出品。 |
| 1976年10月 | 33歳 | O氏賞記念展(東京セントラル絵画館)に出品。 |
| 1976年10月 | 33歳 | 絹谷幸二作品展(銀座・彩壺堂サロン)開催され《室内》《少女イザベェラ》《アンジェラと蒼い空Ⅱ》《サンドラ嬢の肖像》《ダリア・ガナッシィーニの肖像》など29点を出品。 |
| 1976年12月 | 33歳 | 絹谷幸二個展(名古屋・伽藍洞ギャラリー)開催。 |
| 1976年12月 | 33歳 | 日本洋画商協同組合展に出品。以後毎年出品。 |
| 1977年1月 | 33歳 | 煌会(札幌)に出品。 |
| 1977年1月 | 33歳 | 独立十人会(大阪)に出品。 |
| 1977年1月 | 33歳 | パノラマ’77=日本画壇の全貌展(東京セントラル美術館)に《歌うクラウディア》を出品。以後1983年まで毎回出品。 |
| 1977年2月 | 34歳 | 顔派展(和光・銀座)に出品。 |
| 1977年2月 | 34歳 | 《アンジェラと蒼い空Ⅱ》が昭和51年度文化庁買い上げ優秀美術作品に決定。 |
| 1977年4月 | 34歳 | 《室内》を池田20世紀美術館が買上げ。 |
| 1977年5月 | 34歳 | 第1回具象現代展(上野・松坂屋)に招待出品、以後出品を重ねる。 |
| 1977年6月 | 34歳 | 第14回太陽展〈明日への太陽〉(銀座・日動画廊)に《ばら(サン・ジョルジュ・マジーレ遠望)》《ばら、炎々》を招待出品。以後、日動展、ミニヨン展、紅霜展、サロン・ド・アブリル展、風林会展などに出品を重ねる。 |
| 1977年6月 | 34歳 | 絹谷幸二個展(大阪・ギャラリー風)開催。 |
| 1977年7月 | 34歳 | 絹谷幸二個展(銀座・ワールドアートサロン)開催。 |
| 1977年7月 | 34歳 | 『古典画法の生かし方-アフレスコ技法』(アトリエ出版)刊行。 |
| 1977年10月 | 34歳 | 第45回独立展(東京都美術館)に《蒼空のある自画像》出品。 |
| 1977年10月 | 34歳 | 文化庁昭和52年度(第11回)芸術家在外研修員に選ばれ渡航。研修目的は<イタリア等で古典壁画技法の研究及び現代美術への可能性について>。メキシコを経由してボストン、ニューヨークに寄り、ルフィーノ・タマヨと壁画運動について歓談。のちヨーロッパに渡り、モーラ教授、ブルーノ・サエッティ教授に再会。 |
| 1978年 | 34歳 | この年、《夢・ヴェネツイア カーレ・デッラ・マンドラ》制作。 |
| 1978年6月 | 35歳 | イタリア・マニフェスト展(ヴェネツィア)にシルク・スクリーンによる個展ポスターを出品。マニフェスト賞を受賞し、ヴェネツイア・ビエンナーレ買上げとなる。 |
| 1978年8月 | 35歳 | ギリシア、クレタ島を旅行。 |
| 1978年9月 | 35歳 | 旧ユーゴスラヴィア・パジョン美術館の招待により、版画(限定100部)を制作、同館に収蔵される。 |
| 1978年10月 | 35歳 | 帰国。 |
| 1978年10月 | 35歳 | 第46回独立展(東京都美術館)に《愛Ⅱ》を出品。 |
| 1978年12月 | 35歳 | 会津若松・東山パークホテルの壁画《炎・炎》を制作。以後、日本各地で多くの壁画の制作を手掛けることになる。 |
| 1978年12月 | 35歳 | 渡欧中、絹谷の乗っていたバスが爆破され首相モローが暗殺された。この事件をもとに《緑にしみる悲しみ》を制作。 |
| 1979年1月 | 35歳 | 《愛Ⅱ》(第46回独立展出品作)を東京都美術館が買上げ。 |
| 1979年2月 | 36歳 | 第1回明日への具象展(日本橋・髙島屋)に《月曜日のクリスティーナ》を招待出品。以後1984年まで毎回出品。 |
| 1979年3月 | 36歳 | 爽樹会(銀座・フジ・インターナショナルアートギャラリー)に出品。以後毎年出品。 |
| 1979年4月 | 36歳 | 絹谷幸二滞欧作品展(池袋・西武百貨店)開催。《カーラ・モニカ》《エリザの像》《少女モニカ》《舞台の人》など大小20余点を出品。 |
| 1979年5月 | 36歳 | 奥谷博、芝田米三、林敬二、松本英一郎、山本正らとともに独立美術協会中堅会員11名による「十果会」を結成し、第1回展(日本橋・髙島屋)を開催。《炎々》《光る海(ドブロニク・ユーゴスラヴィア)》を出品。以後毎回出品。 |
| 1979年5月 | 36歳 | 飛鳩会(東京・大阪フォルム画廊)に出品。 |
| 1979年5月 | 36歳 | 今日のイメージ展(秋田県立美術館)、サロンドアブリル展(銀座・日動画廊)に出品。以後毎年出品。 |
| 1979年6月 | 36歳 | 第2回現代の裸婦展(銀座・日動画廊)に《花かざす少女》を招待出品。以後出品を重ねる。 |
| 1979年7月 | 36歳 | われらの時代展に《緑色の大地》を出品。 |
| 1979年8月 | 36歳 | 台湾を旅行、故宮博物院を訪れる。 |
| 1979年10月 | 36歳 | 近代イタリア美術と日本〈作家の交流をめぐって〉(大阪・国立国際美術館)に《サンドラ嬢の肖像》《裸婦》が出品される。 |
| 1979年10月 | 36歳 | 第47回独立展(東京都美術館)に《みなみ風の日(風紋)》を出品。 |
| 1979年10月 | 36歳 | 第1回絹谷幸二展(銀座・日動画廊)が開催され、《夢・ヴェネツイア(カーレ・デッラ・マンデラ)》《光る海(ユーゴスラヴィア・ドブロブニク)》《緑にしみる悲しみ》《ファーストとその友達》など新作68点を出品。11月に大阪・日動画廊を巡回。 |
| 1979年11月 | 36歳 | 個展(東京、大阪・日動画廊)開催。 |
| 1979年12月 | 36歳 | 同世代展(名古屋・伽藍洞ギャラリー)に出品。 |
| 1980年1月 | 36歳 | 第2回明日への具象展(日本橋・髙島屋)に《サン・トマ運河にて》を招待出品。 |
| 1980年1月 | 36歳 | 明日を拓く画家たち展(東京セントラル美術館)に出品。 |
| 1980年3月 | 37歳 | 第2回日本秀作美術展(日本橋・髙島屋)に《月曜日のクリスティーナ》(1979年)が選抜出品される。以降2003年の最終第25回展まで選抜出品。 |
| 1980年4月 | 37歳 | 日本大学芸術学部客員助教授となる。 「よく作家と教育者の二足のわらじといわれるが、僕はそうは思っていない。サルトルの影響もあるかもしれないが、芸術家はアンガージュマン(社会参加)しなければならないと思っている。僕は絵描きだから、絵を方法に、教育によってアンガージュマンしていると考えている」(「自筆年譜」『アートトップ叢書 絹谷幸二』芸術新聞社、1992年、129頁) |
| 1980年5月 | 37歳 | 『絵画技法体系』(ほるぷ社)にアフレスコ技法を執筆。 |
| 1980年5月 | 37歳 | 第2回獅子の会(若井画廊)に出品。 |
| 1980年6月 | 37歳 | 第2回十果会展(日本橋・髙島屋)に《緑色大地》《唄うアンジェロ》を出品。 |
| 1980年7月 | 37歳 | 絹谷幸二展(名古屋・伽藍洞ギャラリー)開催、《バナナ・ムーン》《南風の日(風紋)》《緑色大地》などを出品。 |
| 1980年7月 | 37歳 | 中国の北京、西安、敦煌を旅行、壁画を研究する。 |
| 1980年9月 | 37歳 | 〈日本の洋画にみる〉回想の裸婦・現代のヌード展(銀座・松坂屋ほか)に《みなみ風の日(風紋)》が出品される。 |
| 1980年9月 | 37歳 | 80AJAC現代日本のマニエリスム展(東京都美術館)に出品。 |
| 1980年9月 | 37歳 | 風林会(銀座・日動画廊)に出品。 |
| 1980年9月12日- 1980年9月27日 | 37歳 | 中国旅行 |
| 1980年10月 | 37歳 | 第48回独立展(東京都美術館)に《流砂》を出品。 |
| 1980年11月 | 37歳 | アジア現代美術展(福岡市美術館)に《サンドラ嬢の肖像》を出品。のち福岡市美術館買い上げとなる。 |
| 1980年11月 | 37歳 | 第1回魁会、’80現代具象の精鋭百人展、作家がいた展に出品。 |
| 1980年12月 | 37歳 | 長女・美帆生まれる。 |
| 1980年12月 | 37歳 | 母子像展に出品、第9回翏現代美術展に招待出品。 |
| 1980年12月 | 37歳 | 絹谷幸二新作展(大阪・ギャラリー風)開催。 |
| 1980年12月 | 37歳 | 明日を拓く精鋭23人展(東京セントラル美術館)に《ズライカの夢》《緑にしみる悲しみ》を招待出品。 |
| 1981年1月 | 37歳 | 綾綵会、女を描く12人展に出品。 |
| 1981年2月 | 38歳 | 第3回明日への具象展(日本橋・髙島屋)に《星空の二人》を招待出品。 |
| 1981年2月 | 38歳 | 現代の25人展に出品。 |
| 1981年3月 | 38歳 | 第3回日本秀作美術展(日本橋・高島屋)に《サン・トマ運河にて》(明日への具象展出品作)が選ばれ出品。 |
| 1981年3月 | 38歳 | 「画家5人の視覚」に招待出品。 |
| 1981年5月 | 38歳 | 《サンドラ嬢の肖像》を福岡市美術館が買上げ。 |
| 1981年5月 | 38歳 | 絹谷幸二新作展(銀座・ワールドアートサロン)開催。《黒髪の少女》など20余点を出品。 |
| 1981年5月 | 38歳 | 第30回五都展(新橋・東京美術倶楽部)に招待出品。以後この新作発表展(のち現代作家美術展〈現美展〉、伝統からの創造・21世紀展、「創と造」展と改称)に1985年まで毎回出品。 |
| 1981年6月 | 38歳 | 第3回十果会展(日本橋・髙島屋)に《城壁の街》《ナイルの初夏》などを出品。 |
| 1981年6月 | 38歳 | THE POP WAVEにドローイング出品。 |
| 1981年10月 | 38歳 | 独立美術協会第49回展(東京都美術館)に《凪の日》を出品。亀谷美術館買上げとなる。点描表現に新たな展開を見せる。 |
| 1981年11月 | 38歳 | 絹谷幸二展〈私の宝石箱〉(銀座・フジヰ画廊ニューギャラリー、別館)開催。《窓(ラ・フィネストラ)》などアフレスコによる小品89点と絵皿2点を出品。 |
| 1981年11月 | 38歳 | 戦後美術35年の歩み展〈「気」と「質」へ〉(築地・東京美術センター)開催。アフレスコ画13点を出品。 |
| 1981年11月 | 38歳 | 開館記念特別展・第1部 現代日本の美術(宮城県美術館)に《みなみ風の日(風紋)》《流砂》《緑にしみる悲しみ》《ズライカの夢》《カーラ・モニカ》を出品。 |
| 1982年1月 | 38歳 | 雑誌『宝石』の表紙画の連載を始める(~1983年12月号) |
| 1982年1月 | 38歳 | 静物画12人展に出品。 |
| 1982年2月 | 39歳 | 第4回明日への具象展(日本橋・髙島屋)に《パルコ・ボルゲーゼにて》を招待出品。 |
| 1982年2月 | 39歳 | エジプトを旅行。 |
| 1982年2月 | 39歳 | 安井賞受賞作家展に《みなみ風の日》を出品。 |
| 1982年2月 | 39歳 | 四大文明展(東京セントラルアネックス)に《永遠の眠り》《アラビア服の自画像》を出品。 |
| 1982年3月 | 39歳 | 第4回日本秀作美術展(日本橋・高島屋)に《凪の日》(独立展出品作)を出品。 |
| 1982年5月 | 39歳 | 第6回具象現代展(上野・松坂屋)に《裸のリサ》を招待出品。 |
| 1982年5月 | 39歳 | 第1回新生代展〈現代の女を描く〉(銀座・サロン・ドゥ・ボナ)に《愛》《画家とモデル》《花飾りの少女》《裸のリサ》を出品。以後毎回出品。 |
| 1982年7月 | 39歳 | 第4回十果会展(日本橋・髙島屋)に《モハメッドとムスタファ》《永遠の夢》などを出品。 |
| 1982年7月 | 39歳 | 石版画集『ヴェネツィア回想』(3点組限定150部)(大月版画展示室)刊行。 |
| 1982年7月 | 39歳 | 第1回瑤の会展(銀座・フジヰ画廊)に《アブシンベルの星》《永遠の夢》を出品。以後毎回出品。 |
| 1982年9月 | 39歳 | 現代作家による描かれた女展(銀座・日動画廊)に《残照》を出品。 |
| 1992年10月 | 49歳 | 独立美術協会第60回記念展(東京都美術館)に《蒼天夢譚》出品。 |
| 1992年10月 | 49歳 | 絹谷幸二富嶽小品展(岡崎画廊)開催。 |
| 1982年10月 | 39歳 | 独立美術協会第50回記念展(東京都美術館)に《NELLA SABBIA(砂の中)》を出品。「砂シリーズ」の端緒となる。 |
| 1992年10月15日 | 49歳 | 『アート・トップ叢書 絹谷幸二』(芸術新聞社)刊行。 |
| 1982年11月 | 39歳 | 絹谷幸二自選展(銀座・フジヰ画廊)開催。1966年から新作までの《月曜日のクリスティーナ》《唄う少女達》《ネル・サアビア(砂の中)》など14点を出品。 |
| 1982年11月 | 39歳 | 「現代日本美術の展望-油絵展」(富山県立近代美術館)に《流砂》《夢・ヴェネツィア(カーレ・デッラ・マンドラ)》を出品。 |
| 1982年11月 | 39歳 | 日本大学芸術学部客員助教授を辞任。 |
| 1983年1月 | 39歳 | 風景画12人展(名古屋・松坂屋)に出品。 |
| 1983年2月 | 40歳 | 丸亀・麻田総合病院の壁画《文明にかける橋》を制作。 |
| 1983年2月 | 40歳 | 絹谷幸二・裸婦を描くデッサン展(上野・松坂屋)開催。 |
| 1983年2月 | 40歳 | 第5回明日への具象展(名古屋・丸栄)に《画家とモデル》を招待出品。 |
| 1983年4月 | 40歳 | 武蔵野美術大学教授となる。 |
| 1983年4月 | 40歳 | 第5回日本秀作美術展(日本橋・高島屋)に《NELLA SABBIA(砂の中)》(独立展出品作)が選ばれ出品される。 |
| 1983年4月 | 40歳 | 『かべにえがく-壁画の世界-』(子ども美術館22)(ポプラ社)刊行。 |
| 1983年5月 | 40歳 | 第2回美術文化振興協会賞を受賞。 |
| 1983年5月 | 40歳 | 轉石会、風の会ほかに出品。 |
| 1983年5月 | 40歳 | 富山県の依頼により《羅漢唄う》を制作、「富山を描く-100人100景」展(富山県立近代美術館)に出品され、同美術館の買上げとなる。 |
| 1983年5月 | 40歳 | 美術文化振興協会賞の受賞を記念して「明日への展望−洋画の5人−展」〈元永定正・三尾公三・宇佐美圭司・絹谷幸二・有元利夫〉(銀座・松屋ほか)が開催され、《アンセルモ氏の肖像》《サンドラ嬢の肖像》《アンジェラと蒼い空》《流砂》など8点と新作《蓮華夢譚》を出品。 |
| 1983年5月 | 40歳 | 第5回獅子の会展(銀座・若井画廊)に出品。 |
| 1983年6月 | 40歳 | 受賞作家6人展に出品。クレイヨンの会に《北京の太陽》を出品。 |
| 1983年7月 | 40歳 | 第5回十果会展(日本橋・髙島屋)に《緑にしみる悲しみ》《蓮華夢譚》《日輪蓮華》などを出品。 |
| 1983年7月 | 40歳 | 今日のガラス絵展(浜松市美術館)に出品。 |
| 1983年8月 | 40歳 | 裸婦とデッサン展(三重・亀谷美術館)に出品。 |
| 1983年9月 | 40歳 | 絹谷幸二・花と裸婦展(広島・天満屋)開催。 |
| 1983年9月 | 40歳 | 日本美術交流会による洋画一世紀展(上野・松坂屋)に《星空の女》が出品される。 |
| 1983年10月 | 40歳 | 第51回独立展(東京都美術館)に《砂の夢》を出品。 |
| 1983年10月 | 40歳 | インド、パキスタンを旅行。 |
| 1983年10月 | 40歳 | 裸体画100年の歩み(大阪・国立国際美術館)に《月曜日のクリスティーナ》が出品される。 |
| 1983年11月 | 40歳 | 第2回絹谷幸二展(銀座・日動画廊)開催。アフレスコ画の新作を中心に《抱擁》《泪・泪・泪》ほか50余点を出品。 |
| 1983年12月 | 40歳 | 愛知県君津市に壁画《中澤氏家族の肖像》を制作。 |
| 1984年 | 40歳 | 《めぐりあう時》制作。同年の皆既日食に取材。また清里高原ホテル(山梨県)に《高原の二人》制作。 |
| 1984年1月 | 40歳 | 女の顔’84(銀座・松坂屋)に出品。 |
| 1984年2月 | 41歳 | 第1回日本青年画家展(日本橋・三越本店)に《お・あ・う(in LADAKH)》を出品。以後1988年まで毎回出品。 |
| 1984年3月 | 41歳 | 天展(奈良・天理教美術館)に《唄う少女たち》を出品。 |
| 1984年3月 | 41歳 | 日本現代美術秀作展(豊橋市美術館)に出品。 |
| 1984年4月 | 41歳 | 現代展(銀座・日動画廊)、五周年記念展(銀座・中央画廊)に出品。 |
| 1984年4月 | 41歳 | 現代絵画の20年−1960〜70年代の洋画と新しい「平面」芸術の動向(群馬県立近代美術館)に《みなみ風の日(風紋)》が出品される。 |
| 1984年4月6日- 1984年5月9日 | 41歳 | インド・ガンダーラ 絹谷幸二展(池袋・西武美術館ほか)開催。《ティクセイ僧院遠望》《あ、あ、あ(ラダック壁画)》《お、あ、う(ラダックの壁画より)》《釈迦仏(ラダックの光)》など32点を出品。 |
| 1984年5月 | 41歳 | 絹谷幸二個展(岡山・天満屋)開催。 |
| 1984年5月 | 41歳 | 薫風会洋画展(渋谷・西武)に出品。 |
| 1984年5月 | 41歳 | 韓国へ旅行。 |
| 1984年6月 | 41歳 | 第6回日本秀作美術展(日本橋・髙島屋)に《砂の華》(独立展出品作)を出品。 |
| 1984年6月 | 41歳 | 九谷焼技術研修所非常勤講師となり、絵付けの講義を行う。 |
| 1984年7月 | 41歳 | 第6回十果会展(日本橋・髙島屋)に《沙の華》《蒼に祈る》を出品。 |
| 1984年7月 | 41歳 | 第3回瑤の会展(銀座・フジヰ画廊)に《花飾りの少女》を出品。 |
| 1984年7月 | 41歳 | キリスト教美術展(銀座・日動画廊)、クレイヨンの会(銀座・フジヰ画廊)に出品。 |
| 1984年8月 | 41歳 | 最初の画集、『絹谷幸二画集』(講談社)刊行。 |
| 1984年10月 | 41歳 | 第52回独立展(東京都美術館)に《うずもれしは砂の愛》を出品。 |
| 1984年12月 | 41歳 | 日本テレビ番組〈美の世界 壁に染める心〉に出演、放映される。 |
| 1985年2月 | 42歳 | 第2回日本青年画家展(日本橋・三越本店)に《光ふる時》《光ふる街》を出品し、優秀賞受賞。 |
| 1985年2月 | 42歳 | 次女・絹谷香菜子生まれる。 |
| 1985年3月 | 42歳 | 第4回ジューヌ・リオン展(名古屋・松坂屋)に出品。 |
| 1985年4月 | 42歳 | 第1回具象絵画ビエンナーレ(神奈川県立近代美術館ほか)に《めぐりあう時》を出品。1987年、89年にも出品。 |
| 1985年5月 | 42歳 | 第9回具象現代展(上野・松坂屋)に《べネツィアの調べ》を招待出品。 |
| 1985年6月 | 42歳 | 第7回日本秀作美術展(日本橋・高島屋)に《沙の華》(十果会出品作)が選ばれ出品される。 |
| 1985年7月 | 42歳 | 第7回十果会展(日本橋・髙島屋)に《アラベスク(B)》《アラベスク(A)》を出品。 |
| 1985年7月 | 42歳 | 第4回瑤の会展(銀座・フジヰ画廊)に《海の見える街》を出品。 |
| 1985年8月 | 42歳 | 現代のセルフポートレート展(埼玉県立近代美術館)に《蒼空のある自画像》が出品される。 |
| 1985年8月 | 42歳 | 第24回国際形象展(日本橋・三越本店)に《自画像》を招待出品。 |
| 1985年8月 | 42歳 | 絹谷幸二小作品展〈日・月・星・人・華〉(上野・松坂屋)開催。年齢と同じ42点を出品。 |
| 1985年10月 | 42歳 | 日本青年画家展第2回受賞作家作品展(日本橋・三越本店)に出品。 |
| 1985年10月 | 42歳 | 国立総合児童センター「こどもの城」(東京都渋谷区)の壁画《アラベスク》を制作、完成。 |
| 1985年10月 | 42歳 | 第53回独立展(東京都美術館)に《もう一人いる私》を出品。 |
| 1985年10月 | 42歳 | 日本現代絵画83人展(ニューデリー・国立近代美術館)に《星空の二人》が出品される。 |
| 1985年11月 | 42歳 | 絹谷幸二展(日本橋・髙島屋)開催。《壁画を描く画家》《光ふる時》《自画像》などを出品し、大阪・高島屋を巡回。 |
| 1985年11月 | 42歳 | 日本テレビ番組〈アートナウ つかのまの時間の中で〉に出演、こどもの城壁画制作過程が放映される。 |
| 1986年2月 | 43歳 | 第3回日本青年画家展(日本橋・三越本店)に出品。 |
| 1986年2月 | 43歳 | ザ・メッセージ〈日本現代絵画83人展〉(横浜・そごう美術館)に《星空の二人》が出品される。 |
| 1986年3月 | 43歳 | 少林寺カレンダー制作のため、宗道臣氏と中国河南省・少林寺を旅行。 |
| 1986年3月 | 43歳 | 第5回ジューヌ・リオン展に出品。 |
| 1986年4月 | 43歳 | アジアクラブより東南アジア、タイ、インドネシアを旅行。 |
| 1986年4月 | 43歳 | 第1回現代作家美術展〈現美展〉(新橋・東京美術倶楽部)に《プリマヴェラ(春)》を招待出品。以後毎回出品。 |
| 1986年5月 | 43歳 | 日本現代美術展(台北市立美術館)に出品される。 |
| 1986年5月 | 43歳 | 第8回日本秀作美術展(日本橋・高島屋)に《自画像》(国際形象展出品作)が選ばれ出品される。 |
| 1986年5月 | 43歳 | 第10回具象現代展(上野・松坂屋)に《バリ島の少女》《ローズルームにて》を出品。 |
| 1986年5月 | 43歳 | 絹谷幸二新作展(京都・蔵丘洞画廊)開催。 |
| 1986年6月 | 43歳 | 絹谷幸二 アフレスコ画の世界展(広島・天満屋)開催。 |
| 1986年6月 | 43歳 | 6月のサロン展(銀座・東邦アート)に出品。 |
| 1986年6月 | 43歳 | 絹谷幸二個展(京都・蔵丘洞画廊)開催。 |
| 1986年6月 | 43歳 | 京都・田辺町(現・京田辺市)の新庁舎に壁画《光ふるまち田辺》を制作。 |
| 1986年6月 | 43歳 | 徳島県立近代美術館、富山県立近代美術館により作品買上げ。 |
| 1986年7月 | 43歳 | 第8回十果会展(日本橋・髙島屋)に《少林寺に昇る日輪》《ローズルームにて(2)》《喝采》を出品。 |
| 1986年7月 | 43歳 | 第5回瑤の会に《音戸の瀬戸》を出品。 |
| 1986年8月 | 43歳 | 第25回国際形象展(日本橋・三越本店)に《共有する時間》《妻と私》を招待出品。 |
| 1986年10月 | 43歳 | 第54回独立展(東京都美術館)に《チェスキーニ氏の肖像》を出品。 |
| 1986年10月 | 43歳 | 素描芸術100年のあゆみ〈人間像をテーマとして〉(奈良県立美術館)に水彩《横たわる裸婦》2点を出品。 |
| 1986年10月 | 43歳 | 「現代日本美術の動勢-絵画PART1」展(富山県立近代美術館)に《蓮華夢譚》《うずもれしは砂の愛》《もう一人いる私》が出品される。 |
| 1986年11月 | 43歳 | 新生代展(福岡市美術館)に《サンドラ嬢の肖像》《うずもれしは砂の愛》《流砂》《南風の日(風跡)》など10点を出品。 |
| 1987年 | 43歳 | 『躍動する生命感・絹谷幸二』(河北倫明、嘉門安雄、酒井忠康、堺屋太一ら編)刊行。 |
| 1987年2月 | 44歳 | 第4回日本青年画家展(日本橋・三越本店)に《時の天使》《朝日に輝くゴンドリエーラ》を出品。《時の天使》が優秀賞受賞。 |
| 1987年3月 | 44歳 | 現代の洋画展(日本橋・髙島屋)に《旭光(イタリアの太陽)》を出品。 |
| 1987年3月 | 44歳 | 武蔵野美術大学教授を辞任。 |
| 1987年3月 | 44歳 | 第4回横の会(京都市美術館ほか)に《コンフィジオーネ(混沌)》《ラボニアの肖像》《フランチェスカとゾッティ氏の肖像》を招待出品。 |
| 1987年4月 | 44歳 | 東京藝術大学美術学部講師となる。 |
| 1987年4月 | 44歳 | 現代の絵師 絹谷幸二 富岳三十六圖展(大阪・太陽画廊)開催。 |
| 1987年5月 | 44歳 | 第9回日本秀作美術展(日本橋・高島屋)に《少林寺に昇る日輪》(十果会展出品作)を出品。 |
| 1987年5月 | 44歳 | 第2回具象絵画ビエンナーレ(三重県立美術館ほか)に医師、大島毅の逝去に際して描いた《O氏へのレクイエム(哀歌)》ほか《顔・顔・顔》《金風蓮華》を出品。 |
| 1987年5月 | 44歳 | 横の会(有楽町・西武アートフォーラム)に出品。 |
| 1987年6月 | 44歳 | 《チェスキーニ氏の肖像》により第19回日本芸術大賞受賞(現代具象絵画に創意あふれる新領域を開拓しつつある作品活動に対して)。 |
| 1987年7月 | 44歳 | 第9回十果会展(日本橋・髙島屋)に《涙するカトリーヌ》《ローズマリーの青春》を出品。 |
| 1987年7月 | 44歳 | 愛知県・一宮市博物館の壁画《あやなすまち一宮、ひとひとひともよう》を制作。制作過程、完成が名古屋テレビ、NHK教育テレビ〈ETV8〉で放映される。 |
| 1987年7月 | 44歳 | NHK教育テレビ番組〈日曜美術館 土佐の絵金〉に出演、放映される。 |
| 1987年7月 | 44歳 | 第6回瑤の会に《薫風不二》などを出品。 |
| 1987年7月 | 44歳 | 第2回東京国際映画祭のポスターを制作。 |
| 1987年10月 | 44歳 | 日本の絵画・新世代・1987展(上野・松坂屋)に《ひとり寝の時》《とれもれ》を出品。 |
| 1987年10月 | 44歳 | 東京藝術大学創立100周年記念展〈明日への展望−教官作品〉(有楽町アートフォーラム)に《チェスキーニ氏の肖像》を出品。 |
| 1987年10月 | 44歳 | 第55回独立展(東京都美術館)に《リーガの肖像》を出品。 |
| 1987年10月 | 44歳 | 躍動する生命感 絹谷幸二自選展(名古屋・松坂屋本店)開催。静岡・松坂屋を巡回。 |
| 1987年10月 | 44歳 | 奈良県100年記念特別展 芸術への誘い~描かれた大和(奈良県立美術館)に《大和遠望》が出品される。 |
| 1987年10月 | 44歳 | インドを旅行。ニューデリー、古都アグラ、アジャンタ、エローラなどをめぐる。 |
| 1987年12月 | 44歳 | 東海テレビ番組〈天ちゃんの土曜サロン・人間コンサート〉に出演、一宮市博物館壁画の完成について語る。 |
| 1987年12月 | 44歳 | 87スペースコンセプション展(東京セントラル美術館)に《ITSUMI》《室内のアンジェラ》を出品。 |
| 1988年2月 | 45歳 | 第5回日本青年画家展(日本橋・三越本店)に《涙するカトリーヌ》を出品、優秀賞受賞。 |
| 1988年2月 | 45歳 | 絹谷幸二自選展〈豊饒な色彩・熱い想い〉(池袋・西武アートフォーラム)開催。1974年の安井賞受賞から新作まで代表作を中心に、《天使ガブリエッラ》《室内のアンジェラ》などの大作や未発表作、立体作品を含む40点を出品。4月に川崎・SEIBUホールを巡回。 |
| 1988年2月 | 45歳 | 絹谷幸二小品展(池袋・西武百貨店美術画廊)開催。《天使ガブリエッラ》《室内のアンジェラ》などを出品。 |
| 1988年2月 | 45歳 | 1988・日本洋画壇の精鋭による現代の人物画展(名古屋・松坂屋本店)に《月曜日のクリスティーナ》《アグラの女》を出品。4月まで大阪・大丸心斎橋店、金沢・香林坊大和、新宿・伊勢丹を巡回。 |
| 1988年4月 | 45歳 | 花の表現(埼玉県立近代美術館)に《日輪蓮華》が出品される。 |
| 1988年5月 | 45歳 | 絹谷幸二小品展(銀座・新生堂)開催。 |
| 1988年5月 | 45歳 | 椿会会員となり、第15回椿会美術展(銀座・資生堂ギャラリー)へ《白いオルガン》を出品。(~1990年まで) |
| 1988年6月 | 45歳 | 第10回日本秀作美術展(日本橋・髙島屋)に《コンフィジィオーネ(混沌)》(横の会出品作)が選ばれ出品される。 |
| 1988年6月 | 45歳 | 絹谷幸二展(パリ・日動画廊)開催。《金風蓮華》《愛》など平面作品32点と立体《め》《とれもろ》の2点を出品。 |
| 1988年7月 | 45歳 | 京都・ブライトンホテルの大壁画《日・月・流星》を、東京と京都を往復しながら6ヶ月かけて制作、完成する。NHKテレビ番組〈一点中継・つくる〉、テレビ東京番組〈美に生きる 洋画家絹谷幸二〉で制作過程が放映される。 |
| 1988年7月 | 45歳 | テレビ東京番組〈私の美術館 壁画の魅力について〉、テレビ朝日番組〈緑四季通信 フラワーキャンバス〉に出演、放映される。 |
| 1988年7月 | 45歳 | 第10回記念十果会展(日本橋・髙島屋)に《少女・夏の日》《ROMA》《自画像》(素描)を出品。 |
| 1988年7月 | 45歳 | 第7回瑤の会展(銀座・フジヰ画廊)に《富士と少女》を出品。 |
| 1988年7月 | 45歳 | 第4回彩朱会展(東京セントラル美術館)に《薔薇》を出品。 |
| 1988年8月 | 45歳 | 中国を旅行。 |
| 1988年8月 | 45歳 | 絹谷幸二新作展(京都・蔵丘洞画廊)開催。《感動の時(仰ぐ)》《燐》などを出品。 |
| 1988年9月 | 45歳 | テレビ東京番組〈私と宝もの〉に出演、放映される。 |
| 1988年10月 | 45歳 | 第56回独立展(東京都美術館)に《虹色の時》を出品。 |
| 1988年10月 | 45歳 | イラク国際美術展に《星空の二人》《アラベスクⅠ・Ⅱ》を出品。イラン・イラク戦争停戦を祝う。 |
| 1988年11月 | 45歳 | 絹谷幸二ドローイング展(青山・日本画廊)開催。《横たわる裸婦》など20点を出品。 |
| 1988年11月 | 45歳 | 愛と詩とエロス 絹谷幸二展(銀座・フジヰ画廊、フジヰ画廊モダーン、岡崎画廊)同時開催。《薔薇の髪飾り》《アンダンテ》《愛・うつろい》などを出品。 |
| 1988年11月 | 45歳 | 広島県立美術館の依頼により《MAYUMI》を制作 |
| 1989年1月 | 45歳 | 第30回毎日芸術賞受賞。 |
| 1989年1月24日 | 46歳 | 『絹谷幸二画集』(求龍堂)刊行。 |
| 1989年5月 | 46歳 | 広島・ヒロシマ・HIROSHIMA〈国内外の制作委託作家78名によるヒロシマの心〉(広島市現代美術館開館記念展)に《MAYUMI》が出品される。 |
| 1989年5月 | 46歳 | 第16回椿会美術展(銀座・資生堂ギャラリー)に《時は過ぎ思い出のパトリッツィア》を出品。 |
| 1989年6月 | 46歳 | 第11回日本秀作美術展(日本橋・髙島屋)に《虹色の時》(独立展出品作)が選ばれ出品される。 |
| 1989年6月 | 46歳 | アート・エキサイティング’89~現在を超えて展(埼玉県立近代美術館)に《ITSUMI》《O氏へのレクイエム》《涙するカトリーヌ》が出品される。秋、オーストラリア・ブリスベン市のクィーンズランド美術館を巡回。(日豪交換現代日本美術展) |
| 1989年6月 | 46歳 | 絹谷幸二展(岡山・天満屋)開催。福山と広島の天満屋を巡回。 |
| 1989年7月 | 46歳 | 第8回瑤の会展(銀座・フジヰ画廊)に《夢見る想い》を出品。 |
| 1989年7月 | 46歳 | 第3回具象絵画ビエンナーレ〈人の生きる・今〉(高知県立郷土文化会館)に《コンフィジィオーネ(混沌)》《愛・うつろい》を出品。翌年4月まで福岡市美術館、東京ステーションギャラリー、福島県立美術館、笠間日動美術館、三重県立美術館を巡回。 |
| 1989年7月 | 46歳 | 第7回全国都市緑化せんだいフェア花と緑の祭典’89グリーンフェア仙台において原画をもとに花の庭を造園。 |
| 1989年7月 | 46歳 | 〈’89海と島の国際展覧会・ひろしま〉のそごう館外壁の壁画を制作、完成する。 |
| 1989年7月 | 46歳 | 第11回十果会展(日本橋・髙島屋)に《トレモロ’89》《パルリアーモ》を出品。 |
| 1989年8月 | 46歳 | 文部省海外学術研究調査の一環でアルタミラ洞窟やラスコー洞窟などのヨーロッパ先史時代の壁画の調査研究を行う。 |
| 1989年9月 | 46歳 | 絹谷幸二展(大阪ロイヤルホテル)開催。 |
| 1989年9月 | 46歳 | 日本の絵画・新世代・1989展(上野・松坂屋)に《花飾りの少女ららら》《愛−未来》を出品。 |
| 1989年10月 | 46歳 | 独立美術協会第57回展(東京都美術館)に《キーコ・ボンディ氏の肖像》を出品。 |
| 1989年10月 | 46歳 | 帝都高速度交通営団(東京)の依頼により、メトロカードの原画《TOKIO》制作。 |
| 1989年10月 | 46歳 | 衛星チャンネル開局記念のリトグラフ制作。 |
| 1989年11月 | 46歳 | ほとばしる情熱 絹谷幸二展(銀座・日動画廊)開催。立体作品《立体Ⅰ》《立体Ⅱ》の2点と平面作品《風の迂回路》《ARS VITAESTA》《おお テラ・ローゼ》《涙色の部屋》《ら・ら・ら・ら♪》《悲嘆》など合わせて31点を出品。 |
| 1990年4月 | 47歳 | 国際花と緑の博覧会(大阪・鶴見緑地の迎賓館・政府苑迎賓室)に《黒陶の薔薇》を展示。 |
| 1990年5月 | 47歳 | 第17回椿会美術展(銀座・資生堂ギャラリー)に《南の島・旭日》を出品。 |
| 1990年5月 | 47歳 | 昭和世代を代表する作家シリーズ11・絹谷幸二展〈愛と生の歓び〉(新宿・伊勢丹)開催。自選による初期から新作に至る代表作を中心に90点を出品。9月までに大阪・大丸心斎橋店、名古屋・松坂屋本店、熊本県立美術館、富山・大和富山店を巡回。 |
| 1990年6月 | 47歳 | 第12回日本秀作美術展(日本橋・髙島屋)に《トレモロ’89》(十果会展出品作)を出品。 |
| 1990年6月 | 47歳 | 絹谷幸二扇面作品展(日本橋・オンワードギャラリー日本橋)開催。 |
| 1990年7月 | 47歳 | 第12回十果会展(日本橋・髙島屋)に《水の星座の女》《凜々船出》を出品。 |
| 1990年7月 | 47歳 | 第9回瑤の会展(銀座・フジヰ画廊)に《青陶の薔薇》を出品。 |
| 1990年7月 | 47歳 | スイス・バーゼル・アート・フェアで個展を開催。 |
| 1990年8月 | 47歳 | 池袋・東京芸術劇場(蘆原義信設計)に天井画《天・地・人》制作。 |
| 1990年8月 | 47歳 | NHKテレビ番組・モーニングワイド〈私の夏〉に出演、放映される。 |
| 1990年8月 | 47歳 | Byobu-E展(ドイツ・デュッセルドルフ州立フォルク・ウント・ヴィルトシャフト美術館)に一曲二隻屏風《夢》を出品。翌年1月、アイルランド・ダブリンの国立R.H.A.ギャラリーを巡回。 |
| 1990年8月 | 47歳 | 絹谷幸二展(ヴェネツイア・カバリーノ画廊)開催。 |
| 1990年10月 | 47歳 | 第1回日本洋画再考展〈国際人が推薦する現代日本の洋画展〉(渋谷・NHKぎゃらりー)に《青陶のバラ》を出品。 |
| 1990年10月 | 47歳 | 第58回独立展(東京都美術館)に《アルベリ(木霊)》を出品。 |
| 1990年11月 | 47歳 | Koji Kinutani Recent Works展(ソウル・ドゥソン・ギャラリー)開催。立体作品《パンドラの函》など30余点を出品。 |
| 1990年11月 | 47歳 | 《オープン・ザ・ボックス・オブ・パンドラ》制作。[スチロールに彩色した立体絵画] |
| 1990年12月 | 47歳 | 第22回潮音会(銀座・フジヰ画廊)に《旭日海を輝す(ヴェネツィア)》を出品。以後毎回出品。 |
| 1990年12月 | 47歳 | 「絹谷幸二の二•五次元展」(銀座・岡崎画廊)開催。《トレモロ》《旭日》《妙》《アンセルモ氏の肖像》など8点を出品。 |
| 1991年 | 47歳 | 三島市民文化会館(ゆうゆうホール)に《旭日三島讃歌》制作。 |
| 1991年 | 47歳 | 《バラとレモン》《砂の涙(咆哮)》《彫刻を作るR嬢》《日月誉湖上不二》《東京の太陽(上野の森)》《東京の太陽(隅田川)》《炎々希望》《薔薇薫る頃少女》《青春》制作。 |
| 1991年1月 | 47歳 | 世田谷美術展’91(世田谷美術館)に《アルベリ・(木霊)》を出品。以後毎回出品する。 |
| 1991年4月 | 48歳 | 東京藝術大学美術学部助教授に就任。 |
| 1991年4月 | 48歳 | NHKテレビ番組・趣味百科〈水彩画入門〉に出演、6月まで13回にわたり放映される。 |
| 1991年4月 | 48歳 | ヨーロッパ巡回帰国記念展 現代の屏風絵(上野・松坂屋)に一曲二隻屏風《夢》を出品。 |
| 1991年4月 | 48歳 | 絹谷幸二個展(東京アートエキスポ)開催。 |
| 1991年5月 | 48歳 | 現代の視覚’91展(有楽町アートフォーラム)に《空を翔ぶ夢の時》を出品。 |
| 1991年5月 | 48歳 | 法鷲院五重塔(茨城県日立市十王町)に壁画《転依》《愛飛翔》《トレモロ・南無》などを制作。 |
| 1991年5月 | 48歳 | 現代日本絵画展(北京・故宮博物院)に《朝日不二》を出品。 |
| 1991年6月 | 48歳 | 第13回日本秀作美術展(日本橋・髙島屋)に《アルベリ(木霊)》(独立展出品作)を出品。 |
| 1991年7月 | 48歳 | 第13回十果会展(日本橋・髙島屋)に《東京の太陽》《薔薇図》を出品。 |
| 1991年8月 | 48歳 | 奈良市宝来・奈良パークホテルに壁画《旭日薫風奈良》制作。 |
| 1991年9月 | 48歳 | ジャパン・フェスティバルA NEW WAVE展(ロンドン・バービカン・センター)に《蓮華夢譚》出品。 |
| 1991年9月 | 48歳 | NHKテレビ番組・日曜美術館〈フィレンツェルネサンス芸術と修復〉に出演、放映される。 |
| 1991年10月 | 48歳 | 絹谷幸二 ミンモ・パラディーノ2人展(銀座・資生堂ギャラリーピクチャーズ)開催。《泪・泪》《水色の刻》《祈り》など8点を出品。 |
| 1991年10月 | 48歳 | 今泉篤男と椿会の作家たち(銀座・資生堂ギャラリー)に《白いオルガン》を出品。 |
| 1991年10月 | 48歳 | 独立美術協会第59回展(東京都美術館)に《唄う人・とれもろ》出品。 |
| 1991年11月 | 48歳 | 髙島屋創業160周年記念 絹谷幸二展(日本橋・髙島屋)開催。《イエス・オア・ノー》《あなたの愛の如く》《不二に至る風の道》《木霊-祈り》など立体作品を含む約50点を出品。12月まで大阪、京都、横浜の髙島屋を巡回。 |
| 1991年12月 | 48歳 | 世田谷美術展’92(世田谷美術館)に《花飾りの少女》を出品。 |
| 1991年12月 | 48歳 | 第23回潮音会(銀座・フジヰ画廊)に《太陽の都》を出品。 |
| 1991年12月 | 48歳 | 鳳琳カントリー倶楽部(市原市)に《愛・飛翔》制作。 |
| 1991年12月 | 48歳 | 庄司美術館(沼津市)に《旭日凜々》制作。 |
| 1992年 | 48歳 | 「想いがフォルムになる時」展開催。 |
| 1992年1月 | 48歳 | 1992両洋の眼 現代の絵画展(日本橋・三越本店)に《愛・語らい》を出品。以降2009年の最終展まで毎回出品。 |
| 1992年5月 | 49歳 | 現代の洋画展(名古屋・名古屋画廊)に《薔薇(マリーサに捧げる)》を出品。 |
| 1992年6月 | 49歳 | 第14回日本秀作美術展(日本橋・髙島屋)に《木霊・祈り》(個展出品作)を出品。 |
| 1992年6月 | 49歳 | 生命の歓喜 絹谷幸二展(名古屋・松坂屋本店美術画廊)開催。 |
| 1992年7月 | 49歳 | 絹谷幸二・平賀敬水彩画展(銀座・牧神画廊)開催。 |
| 1992年7月 | 49歳 | ニューヨークを訪れ、リトグラフを制作。 |
| 1992年7月 | 49歳 | 第14回十果会展(日本橋・髙島屋)に《抱かれし刻》《語らいの刻》を出品。 |
| 1992年7月 | 49歳 | 日本洋画再考展〈現代日本洋画家と日本画家との対話〉(東京都庭園美術館)に《愛飛翔》を出品。 |
| 1992年8月 | 49歳 | 随筆集『壁は200億光年の夢を見る』(美術年鑑社)刊行。 |
| 1992年9月 | 49歳 | NHK教育テレビ番組〈土曜フォーラム 日本洋画再考展−現代日本洋画家と日本画家との対話−〉に猪熊弦一郎、高山辰雄、平山郁夫、鈴木進の各氏とともに出演、放映される。 |
| 1992年9月 | 49歳 | 『日経ポケットギャラリー 絹谷幸二』(日本経済新聞社)刊行。 |
| 1992年12月 | 49歳 | 第24回潮音会(銀座・フジヰ画廊)に〈富岳四季〉連作《旭日都富士山》《日月照六合富岳》《雲海湖上錦富士》《忍野富士》の4点を出品。 |
| 1993年1月 | 49歳 | 1993両洋の眼・現代の絵画展(日本橋・三越本店)に《蒼天夢譚》出品。 |
| 1993年3月 | 50歳 | タイをスケッチ旅行する。 |
| 1993年4月 | 50歳 | 東京藝術大学美術学部教授に就任。 |
| 1993年4月 | 50歳 | 奈良ゆかりの現代作家〈柳原義達・井上武吉・上村淳之・絹谷幸二の世界〉(奈良県立美術館)開催。《諧音の詐術》《室内Ⅱ》《アンセルモ氏の肖像》《アンジェラと蒼い空Ⅱ》《蒼空のある自画像》《チェスキーニ氏の肖像》など油彩画20点とデッサン、立体絵画11点あわせて31点を出品。 |
| 1993年5月 | 50歳 | 高知県のラ・ヴィータ(音楽ホール)の天井画《旭日波光》制作。 |
| 1993年5月 | 50歳 | 現代の視覚’93(有楽町アートフォーラム)に《愛する者たちへ》を出品。 |
| 1993年6月 | 50歳 | 絹谷幸二・平賀敬小品展(銀座・牧神画廊)開催。《旭日赤富士》など小品10点を出品。 |
| 1993年6月 | 50歳 | 第15回日本秀作美術展(日本橋・髙島屋)に《語らいの刻》(十果会展出品作)を出品。 |
| 1993年7月 | 50歳 | 第15回十果会展に《めぐり行く刻》《めぐり逢う刻》を出品。 |
| 1993年7月 | 50歳 | 油井一二を偲ぶ−現代作家秀作展(佐久市立近代美術館)に《薔薇咲く頃(少女A)》を出品。 |
| 1993年8月 | 50歳 | IMA・「絵画の今日」展(新宿・三越美術館)に《トレモロ》を出品(1995年にも出品)。 |
| 1993年9月 | 50歳 | 絹谷幸二個展(札幌・西武百貨店)開催。 |
| 1993年10月 | 50歳 | 独立美術協会第61回展(東京都美術館)に《ぼじそわか》出品。 |
| 1993年10月 | 50歳 | 国際交流基金の文化派遣事業により北京の中央美術学院で1ヵ月にわたり「環境芸術」の講義を行う。 |
| 1993年11月 | 50歳 | 絹谷幸二展(名古屋・伽藍洞ギャラリー)開催。 |
| 1993年11月 | 50歳 | 絹谷幸二展(銀座・ギャラリーピクチャーズ)開催。 |
| 1993年11月 | 50歳 | 絹谷幸二作品展(ニューヨーク・ギャラリー・アット・タカシマヤ、その後日本国内を巡回)開催。《木霊》《キーコ・ボンディ氏の肖像》ほか、立体作品8点と《うずもれしは砂の愛》《ラボニア》ほか、平面作品22点を出品。またニューヨーク近代美術館理事長ガンツ女史の財団派遣で、ニューヨークのパブリック・スクールの子どもや美術教師らとオブジェの共同制作を行い、同所で「KINUTANI KOJI and KIDS」展開催。 |
| 1993年12月 | 50歳 | 中日現代油画展(北京・中国国立美術館)開催。東京藝術大学第7絹谷研究室と北京・中央美術工芸学院で組織し、立体作品《生命の歓喜》、平面作品《蓮華夢譚》ほか5点を出品。 |
| 1994年1月 | 51歳 | 1994両洋の眼・現代の絵画展(日本橋・三越本店)に《画室の自画像》を出品。 |
| 1994年3月 | 51歳 | 第25回潮音会(銀座・フジヰ画廊)に《雪・旭日湖上富岳》など3点を出品。 |
| 1994年6月 | 51歳 | 第16回日本秀作美術展(日本橋・髙島屋)に《愛する者たちへ》(現代の視覚’93展出品作)を出品。 |
| 1994年6月 | 51歳 | 第16回十果会展に《日月黄金富嶽》《バラとレモン》を出品。 |
| 1994年7月1日 | 51歳 | 『絹谷幸二作品集』(講談社)刊行。 |
| 1994年7月 | 51歳 | 松戸競輪場メインスタンド特別観覧席1階エントランスに壁画《日月万丈富嶽》制作。 |
| 1994年9月 | 51歳 | ヒロシマ−21世紀へのメッセージ展(三鷹市美術ギャラリー)に《蒼空のある自画像》を出品。 |
| 1994年10月 | 51歳 | 独立美術協会第62回展(日本橋・髙島屋)に《ノン・デメンティカーレ(忘れないで)》を出品。 |
| 1994年11月 | 51歳 | 絹谷幸二個展(アムステルダム・ギャラリー・ブローマンス)開催。 |
| 1994年11月 | 51歳 | 世田谷美術展’95(世田谷美術館)に《O氏のレクイエム》を出品。 |
| 1995年1月 | 51歳 | 1995両洋の眼・現代の絵画展(日本橋・三越本店)に《愛・誕生》を出品。 |
| 1995年3月 | 52歳 | 世田谷文学館ロビーの大作を制作中に阪神・淡路大震災が起こり、急遽、主題を変更し震災鎮魂へのレクイエム《愛するもの達へ・希望》を制作する。 |
| 1995年3月 | 52歳 | 第26回潮音会(銀座・フジヰ画廊)に《日月青々富嶽》など4点を出品。 |
| 1995年4月 | 52歳 | 洋画の展望−具象表現を中心に−(福井県立美術館)に《愛するものたちへ》を出品。 |
| 1995年5月 | 52歳 | 美術作家による阪神大震災復興支援「100人展」(大阪・なんば髙島屋)に《薔薇》を出品。 |
| 1995年6月 | 52歳 | 第17回日本秀作美術展(日本橋・髙島屋)に出品。 |
| 1995年6月 | 52歳 | 第17回十果会展(日本橋・髙島屋)に《悲しみの時》《画家とモデル》を出品。 |
| 1995年9月 | 52歳 | IMA「絵画の今日」展(新宿・三越美術館)に《自画像》を出品。 |
| 1995年10月 | 52歳 | 独立美術協会第63回展(日本橋・髙島屋)に《自画像》出品。 |
| 1995年12月 | 52歳 | 世田谷美術展’96(世田谷美術館)に《ノン・ディメンティカーレ(忘れないで)》を出品。 |
| 1996年1月 | 52歳 | 1996両洋の眼・現代の絵画展(日本橋・三越本店)にを出品。 |
| 1996年3月 | 53歳 | 絹谷幸二展(名古屋・松坂屋本店ほか)開催。《ノン・ディメンティカーレ(忘れないで)》など31点を出品。 |
| 1996年4月 | 53歳 | 開館10周年記念特別展「世田谷の美術」(世田谷美術館)に《アルベリ(木霊)》を出品し、同美術館買上げとなる。 |
| 1996年5月 | 53歳 | 連画−十二人の詩と夢の交響曲(日本橋・髙島屋ほか)に《虚空に放て 画布ぞ受けとむ》を出品。 |
| 1996年6月 | 53歳 | 第18回日本秀作美術展(日本橋・髙島屋)に《自画像》(絵画の今日展出品作)を出品。 |
| 1996年7月 | 53歳 | 第18回十果会展(日本橋・髙島屋ほか)に《自画像》《青春・花飾りの少女(リサ)》を出品。 |
| 1996年10月 | 53歳 | 第64回独立展(日本橋・髙島屋)に《あううん・祈り》出品。 |
| 1996年10月 | 53歳 | 埼玉・戸田競艇場メインスタジアムに壁画レリーフ《VINTO PER TE》を制作。 |
| 1996年11月 | 53歳 | 愛と希望と生命の讃歌 絹谷幸二展(いよてつそごう)開催。立体作品《木霊》など31点を出品。 |
| 1996年12月 | 53歳 | 『絹谷幸二 Fuji-I』(日経BP社)刊行。 |
| 1996年12月 | 53歳 | 茨城県立医療大学附属病院に壁画《光降る街》を制作。 |
| 1996年12月 | 53歳 | 世田谷美術展’97(世田谷美術館)に《薔薇》を出品。 |
| 1996年12月 | 53歳 | 絹谷幸二の宇宙展(日本橋・三越本店)開催され、最新作の大作を中心に20余点を出品する。翌年4月までに名古屋・三越、神戸と大阪の大丸を巡回。 |
| 1997年1月 | 53歳 | 1997両洋の眼・現代の絵画展(日本橋・三越本店)に《花二輪》出品。 |
| 1997年2月 | 54歳 | 冬季オリンピック長野大会の公式ポスター制作を委託され、《銀嶺の女神》ほか7種類の競技別ポスターの原画を制作。 |
| 1997年4月 | 54歳 | 絹谷幸二展(新潟市美術館)開催。9月までに茨城県つくば美術館、奈良そごう美術館、秋田市立千秋美術館を巡回する。《りんご飛行(波上)》《アンセルモ氏の肖像》など87点を展示。 |
| 1997年6月 | 54歳 | WORLD ARTIST TOUR 日本から世界へ(東武宇都宮百貨店)に《ラボーニャ》ほか3点を出品。 |
| 1997年6月 | 54歳 | 第19回日本秀作美術展(日本橋・髙島屋)に《三美神》(両洋の眼出品作)を出品。 |
| 1997年7月 | 54歳 | 第19回十果会展(日本橋・髙島屋、他)に《朝陽アフロディティ》《愛・誕生Ⅱ》を出品。 |
| 1997年9月 | 54歳 | 絹谷幸二展(名古屋・伽藍洞ギャラリー)開催。 |
| 1997年10月 | 54歳 | 第65回独立展(東京都美術館)に《NOI AMIAMO》出品。 |
| 1997年11月 | 54歳 | 長野放送社屋前庭の彫刻庭園「波動の庭」に彫刻作品《青春・愛》を設置。 |
| 1997年12月 | 54歳 | Koji Kinutani(ニューヨーク・スペース・アンタイトルド)開催。 |
| 1998年 | 54歳 | 立体作品《ニューヨークの天使》制作。 |
| 1998年 | 54歳 | 文部省大学設置分科会専門委員に就任。 |
| 1998年 | 54歳 | 奈良・万葉文化館の依頼で《大和国原》制作。 |
| 1998年 | 54歳 | 日本中国文化交流協会代表団として團伊玖磨団長らとともに訪中。 |
| 1998年 | 54歳 | 現代日本美術展の選考委員に就任。 |
| 1998年1月 | 54歳 | 1998両洋の眼・現代の絵画展(日本橋・三越本店ほか)に《愛の誕生》を出品。 |
| 1998年1月 | 54歳 | 未来を担う美術家たち「DOMANI・明日」展(安田火災東郷青児美術館)に《青春・花飾りの少女》を出品。 |
| 1998年1月 | 54歳 | 人・ヒト展(刈谷市美術館)に《めぐりあう時》を出品。 |
| 1998年3月 | 55歳 | 奈良・明日香地方のキトラ古墳学術調査に団員として参加。 |
| 1998年5月 | 55歳 | 愛の翼 絹谷幸二展(日本橋・高島屋ほか)開催。《女》など立体作品11点と《日月黄金雲上富士》など平面作品40点を出品。6月まで大阪、京都、横浜などの高島屋を巡回。 |
| 1998年6月 | 55歳 | 第20回日本秀作美術展(日本橋・髙島屋)に《NON DIMENTICARE》(IMA「絵画の今日」展出品作)を出品。 |
| 1998年8月 | 55歳 | 第20回十果会展(大阪・なんば髙島屋ほか)に《日月駿河富士》《煌めく街》を出品。 |
| 1998年10月 | 55歳 | 独立美術協会第66回展(日本橋・髙島屋)に《NOI AMIAMOⅡ》出品。 |
| 1998年10月 | 55歳 | なら100年会館(奈良市)に壁画《日月大和麗し(夢 光降る街 奈良)》制作。 |
| 1998年11月 | 55歳 | 現代日本の精鋭画家たち展(松坂屋美術館ほか)に《あさきゆめみし》を出品。 |
| 1999年 | 56歳 | アジア刑政財団国際貢献カレンダー制作(以後毎年)。 |
| 1999年1月 | 56歳 | 1999両洋の眼・現代の絵画展(日本橋・三越本店)に《パンドラの箱》を出品。 |
| 1999年1月 | 56歳 | 絹谷幸二版画展(ギャラリー・ラ・リューシュ)開催。 |
| 1999年2月 | 56歳 | 現代美術のレッスン・1(秋田市立千秋美術館)に出品。 |
| 1999年6月 | 56歳 | 第21回日本秀作美術展(日本橋・髙島屋)に《愛の誕生》(両洋の眼出品作)を出品。 |
| 1999年7月 | 56歳 | 第21回十果会展(日本橋・髙島屋)に《永遠の契り》《愛・誕生》を出品。 |
| 1999年9月 | 56歳 | 今治しまなみ海道絵画展(河野美術館)に《今治来島海峡大橋遠望》を出品。 |
| 1999年9月 | 56歳 | 絹本金地に岩彩で描く〈絹谷幸二=絹本金地に岩彩で描く〉(岡崎画廊)に《朝陽双船出》など25点を出品。 |
| 1999年9月 | 56歳 | 天満屋創業170年記念 明日に向かって 絹谷幸二展(天満屋福山店ほか)に《銀嶺の女神》など33点を出品。 |
| 1999年10月 | 56歳 | 独立美術協会第67回展(日本橋・髙島屋)に《唄うマリア・ローザ》出品。 |
| 1999年10月 | 56歳 | 出羽路百景展(大沼米沢店ほか)に《紅花の少女》を出品。 |
| 1999年11月 | 56歳 | 絹谷幸二展(高輪プリンスホテル)開催。 |
| 1999年12月 | 56歳 | 北柏リハビリ総合病院(千葉県柏市)に壁画《天飛翔》《日月双鶴富士》制作。 |
| 2000年1月 | 56歳 | 両洋の21世紀の絵画(日本橋・三越本店)に《2000年の自画像》を出品。 |
| 2000年4月 | 57歳 | 絹谷幸二展(名古屋・松坂屋本店ほか)に《NOI AMIAMO》など55点を出品。 |
| 2000年4月 | 57歳 | 絹谷幸二展(宮崎県立美術館)開催。会期中150号のアフレスコ画《ヒムカ(日向)》の公開制作併催。《ヒムカ(日向》《コンフィジオーネ》が同美術館収蔵となる。 |
| 2000年5月 | 57歳 | フランス国立造幣局の依頼でブロンズ作品《千の夢を持つ男》制作。パリ造幣局美術館、東京フランス大使館で展示。 |
| 2000年6月 | 57歳 | 心の色・心かたち展(福光美術館)に出品。 |
| 2000年6月 | 57歳 | 第22回日本秀作美術展(日本橋・髙島屋)に出品。 |
| 2000年7月 | 57歳 | 第22回十果会展に《唄う人》《豊穣の海》を出品。 |
| 2000年10月 | 57歳 | 独立美術協会第68回展(東京都美術館)に《蒼穹夢譚》出品。 |
| 2001年1月 | 57歳 | 両洋の眼 新美術主義の画家たち展(日本橋・三越本店)に《語りあう二人》を出品。 |
| 2001年3月 | 58歳 | 《蒼穹夢譚》(第68回独立展出品作)で第57回日本藝術院賞受賞。日本藝術院会員に推挙される。 |
| 2001年3月 | 58歳 | 渋谷・セルリアンタワーに陶板壁画《セルリアンに染まる愛》《日輪飛翔》制作。 |
| 2001年5月 | 58歳 | 21世紀劈頭展「平面−立体その往還」(日本橋・髙島屋)に《愛のまわり舞台》《め》を出品。 |
| 2001年5月 | 58歳 | 第23回日本秀作美術展(日本橋・髙島屋)に《パンドラの箱》(個展出品作)を出品。 |
| 2001年6月 | 58歳 | 第57回日本芸術院賞を受賞する(独立美術協会第68回展出品作《蒼穹夢譚》に対して)。 |
| 2001年7月 | 58歳 | 第23回十果会展に《雷神夢譚》《流星夢譚》を出品。 |
| 2001年7月 | 58歳 | アートごちそう帖(北海道立釧路芸術館)に出品。 |
| 2001年10月 | 58歳 | 独立美術協会第69回展[東京都美術館]に《炎々明王夢譚》を出品。 |
| 2001年10月 | 58歳 | 絹谷幸二カレンダーのための原画展(岡崎画廊)開催。 |
| 2001年11月 | 58歳 | 愛と希望と生命の讃歌 絹谷幸二展(松山・いよてつ百貨店)開催。《画家とその友達》など41点を出品。 |
| 2001年12月 | 58歳 | 日本藝術院会員となる。 |
| 2001年12月 | 58歳 | 藤沢市30日美術館 今日の作家展(藤沢市民ギャラリー)に招待出品。 |
| 2002年1月 | 59歳 | 両洋の眼 新美術主義の画家たち展(日本橋・三越本店)に《窓辺の裸婦》を出品。 |
| 2002年1月 | 59歳 | 大本山永平寺高祖道元禅師750回大遠忌奉修ポスターの原画を制作。 |
| 2002年1月 | 59歳 | 天祥大地 絹谷幸二展(日本橋・三越本店ほか)開催。《蒼穹夢譚》《北海道礼賛》《富嶽曙》《炎々明王夢譚》など38点出品。 |
| 2002年1月 | 59歳 | 北海道立近代美術館開館25周年記念の《日月燐々北海道》3部作を制作する。 |
| 2002年1月 | 59歳 | DOMANI・明日展2002(安田火災東郷青児美術館)に《明王夢譚Ⅱ》が出品される。 |
| 2002年1月 | 59歳 | バレエ「カルミナ・プラーナ」〈文化庁芸術家在外研修制度35周年アートフェスティバル21〉(新国立劇場中劇場)の舞台美術を担当。 |
| 2002年2月 | 59歳 | 東日本の美−山展(東京ステーションギャラリー)に《南部富士》《会津富士》が出品される。 |
| 2002年4月 | 59歳 | 高松塚古墳発掘30周年記念特別シンポジウム(産経新聞主催)にて講演。 |
| 2002年4月 | 59歳 | 今そして未来〈21世紀を担う巨匠〉展(日本橋・三越本店)に《文珠天祥富岳》などを出品。以後毎回出品を重ねる。 |
| 2002年5月 | 59歳 | 第24回日本秀作美術展(日本橋・髙島屋)《炎々明王夢譚》(独立展出品作)を出品。 |
| 2002年7月 | 59歳 | 第24回十果会展(日本橋・髙島屋)に《日月潮音不二山》《旭日黄金雲海富士》を出品。 |
| 2002年8月 | 59歳 | 愛と希望と生命の讃歌 絹谷幸二展(香林坊大和)開催。《天祥大地》《明王夢譚》など37点を出品。 |
| 2002年8月 | 59歳 | 「ことばのデッサン」を『アート・トリップ』に連載する。 |
| 2002年10月 | 59歳 | 安井賞40年の軌跡展(茨城県つくば美術館)に《アンセルモ氏の肖像》が出品される。 |
| 2002年10月 | 59歳 | 独立美術協会第70回記念展(日本橋・髙島屋)に《天祥大地》出品。 |
| 2002年10月 | 59歳 | 日本のかたち−文様−(神宮美術館)に《日月万丈富嶽》を出品。 |
| 2002年10月 | 59歳 | 富嶽燦燦 絹谷幸二展作品展(上野・松坂屋)開催。《日の出秀峰富嶽》など20点を出品。 |
| 2003年 | 60歳 | 《天空鳳凰飛翔》《菩提心》および立体作品《ウエディングケーキ蓬莱山》制作。 |
| 2003年 | 60歳 | 法務省愛光女子学園にて絵画制作指導を行う。 |
| 2003年1月 | 60歳 | 両洋の眼 新美術主義の画家たち展に《海を渡る風》《朝陽ヴェネツィア》を出品。 |
| 2003年1月 | 60歳 | 現代日本画家50人 万葉歌を描く(銀座・松屋ほか)に《大和国原》を出品。 |
| 2003年1月 | 60歳 | 富岳十二景展(日本橋・三越本店)に出品。 |
| 2003年2月 | 60歳 | 〈独立美術協会70回記念展 輝け日本油画〉(なんば・高島屋ほか)に《愛の誕生》が出品される。 |
| 2003年5月 | 60歳 | 黙示録-絹谷幸二(世田谷美術館)開催。代表作を中心に初期から最近作に至る96点を出品。 |
| 2003年5月 | 60歳 | 『画文集 風の道仏の道』(日本放送出版協会)刊行。 |
| 2003年5月 | 60歳 | 絹谷幸二展〈現代作家デッサン・シリーズ〉(銀座・松屋)開催。 |
| 2003年6月 | 60歳 | 第25回日本秀作美術展(日本橋・髙島屋)に《天祥大地》(独立展出品作)を出品。 |
| 2003年7月 | 60歳 | 第25回十果会(日本橋・髙島屋)に《日月潮音富岳》《太陽の街》を出品。 |
| 2003年10月 | 60歳 | 独立美術協会第71回展(日本橋・髙島屋)に《天空の宴》出品。 |
| 2003年11月 | 60歳 | 絹谷幸二展〈天空の夢〉(日本橋・高島屋ほか)開催。《天空の夢》《天空の調》など64点を出品。翌年2月まで大阪、京都、横浜などの高島屋を巡回する。 |
| 2003年11月 | 60歳 | 『ウソ力〔想像力〕の鍛え方』(日本経済新聞社)刊行。 |
| 2004年1月 | 60歳 | 元日放送「日本のうた絵巻」(NHK)に出演。 |
| 2004年1月 | 61歳 | 2004両洋の眼・現代の絵画展(日本橋・三越本店)に《海わたる風 朝陽ヴェネツィア》を出品。 |
| 2004年1月 | 61歳 | ニューヨーク総領事館に《希望の太陽》制作。 |
| 2004年2月 | 61歳 | ブラジルを取材旅行。 |
| 2004年2月 | 61歳 | みなとみらい線開通記念して横浜駅に設置される巨大陶板壁画《VIVA YOKOHAMA》の原画を制作。 |
| 2004年2月 | 61歳 | 中日新聞主催〈日本画対洋画〉に《花飾りの少女》を出品。 |
| 2004年2月 | 61歳 | 朝日新聞主催〈耀け日本油画〉(日本橋・髙島屋)に《アモーレⅡ》を出品。 |
| 2004年3月 | 61歳 | 幸・歌会始御題によせて《旭日万国讃歌》を出品。(伊勢神宮美術館) |
| 2004年3月 | 61歳 | 『絹谷幸二画集2』(求龍堂)刊行。 |
| 2004年5月 | 61歳 | 日本橋・髙島屋リニューアルのシンボル画《髙島屋の薔薇》制作。髙島屋全店を絹谷の薔薇でディスプレイする。 |
| 2004年5月 | 61歳 | 巨匠展−今そして未来(日本橋・三越本店)に《カルネバーレ》ほかを出品。 |
| 2004年6月 | 61歳 | 絹谷幸二展(前橋・すずらん)開催。 |
| 2004年6月 | 61歳 | 絹の会展開催。絹谷幸二研究室から巣立った俊才たちが主催し、以後毎年開催。 |
| 2004年7月 | 61歳 | 第26回十果会展(日本橋・髙島屋)に《豊穣の女神》ほかを出品。 |
| 2004年7月 | 61歳 | 世界の巨匠が描いたオリンピックポスター展(ポーラ美術館)に長野冬季オリンピックポスター《銀嶺の女神》を出品。 |
| 2004年8月 | 61歳 | 絹谷幸二展(藤沢、横須賀・さいか屋)開催。 |
| 2004年8月 | 61歳 | イタリア・ナポリ、ソレント半島、シチリアに取材旅行。 |
| 2004年10月 | 61歳 | 東美特別展・絹谷幸二新作展(新橋・東京美術倶楽部)開催。 |
| 2004年10月 | 61歳 | 独立美術協会第72回展[東京都美術館]に《日輪天祥慈愛》出品。 |
| 2004年10月 | 61歳 | 文化庁買上優秀美術作品展 戦後美術 俊英の煌めき〈平山郁夫・山口長男から千住博・絹谷幸二まで〉(川越市立美術館)に《アンジェラと蒼い空Ⅱ》(1976)が出品される。 |
| 2004年11月 | 61歳 | 『日本経済新聞』文化欄に「絵空事の力・十選」を連載する。 |
| 2004年12月 | 61歳 | 広島そごう30周年記念事業〈太陽燦燦−絹谷幸二展〉開催。 |
| 2005年3月 | 62歳 | 絹谷幸二展〈元気が湧き、夢がふくらむ無限大の空間〉(渋谷・東急百貨店本店)開催。 |
| 2005年4月 | 62歳 | 〈絹谷幸二−天空の宴展〉(名古屋・松坂屋本店)開催。《日輪天祥慈愛》《愛・地球博(共生)》などを出品。5月まで銀座と静岡の松阪屋を巡回。 |
| 2005年4月 | 62歳 | 絹谷幸二展(大阪・京阪百貨店)開催。 |
| 2005年7月 | 62歳 | 第27回十果会展(日本橋・高島屋)に《日月潮音雄大富士》《天空の宴・月鉾》を出品。 |
| 2005年9月 | 62歳 | 絹谷幸二展〈夢みる力は生きる力〉(守口・京阪百貨店)開催。開業20周年記念 |
| 2005年9月 | 62歳 | 絹谷幸二展(大阪・心斎橋そごう)開催。開店記念 |
| 2005年10月 | 62歳 | 独立美術協会第73回展[東京都美術館]に《自画像・夢》出品。 |
| 2005年11月 | 62歳 | 高輪会・絹谷幸二展(東京高輪プリンスホテル)開催。 |
| 2006年 | 63歳 | 《漆黒の自画像》制作。 |
| 2006年2月 | 63歳 | 開館20周年記念 世田谷美術館展2006(世田谷美術館)に《語り合う二人》(2001)が出品される。 |
| 2006年2月 | 63歳 | フランスを旅行。フランス西海岸のモンサンミッシェルを訪れる。 |
| 2006年3月 | 63歳 | 平壌を訪問。高句麗古墳を見学。 |
| 2006年4月 | 63歳 | 絹谷幸二展〈イタリアを描く〉(日本橋・三越本店)開催。翌年3月まで松山、名古屋、仙台、新潟、札幌、福岡の三越を巡回する。 |
| 2006年5月 | 63歳 | 〈巨匠展−今そして未来〉(日本橋・三越本店)に《裸婦》《希望の街ヴェネツィア》を出品。 |
| 2006年6月 | 63歳 | 〈絹谷幸二ワールド展〉(日本橋・高島屋)開催。 |
| 2006年7月 | 63歳 | 第28回十果会展(日本橋・髙島屋)に《想い・情景Ⅰ》《想い・情景Ⅱ》を出品。 |
| 2006年7月 | 63歳 | 絹谷幸二展〈色彩と夢の力は元気の源〉(大阪・阪神百貨店)開催。 |
| 2006年8月 | 63歳 | 2010年上海国際博覧会に向けて発足した「国際博覧会に関する有識者懇談会」のメンバーとなる。 |
| 2006年9月 | 63歳 | 湖南省長沙で開催された第1回中国中部博覧会の日本代表団団長として訪中、開会式に出席。 |
| 2006年9月 | 63歳 | 昭和の前衛油彩画〈独立美術協会の作家たち〉(広島県・蘭島閣美術館)に《南風(風跡)》が出品される。 |
| 2006年10月 | 63歳 | 「絹谷幸二年譜」『絹谷幸二全作品集』(ビジョン企画出版社)刊行。 |
| 2006年10月 | 63歳 | 独立美術協会第74回展[東京都美術館]に《室内微風》出品。 |
| 2007年 | 63歳 | 髙島屋美術部創部百年記念 現代日本画・洋画 名家百画展(日本橋・髙島屋ほか)開催。 |
| 2007年1月 | 63歳 | 日本藝術院主催「子供 夢・アート・アカデミー」を母校・奈良教育大学附属中学校で実施。以後、全国各地の数多くの学校を訪問することになる。このプロジェクトは日本藝術院会員がゆかりの小中学校・高校を訪問して実技指導・講話を行う社会貢献事業で、2005年から始められた。 |
| 2007年4月 | 64歳 | 双穹の翼 絹谷幸二・幸太展(銀座・日動画廊)開催。名古屋日動画廊に巡回。 |
| 2007年8月 | 64歳 | 絹谷幸二〈大和創業85周年記念〉展(金沢香林坊・大和)開催。 |
| 2007年10月 | 64歳 | 独立美術協会第75回展(六本木・国立新美術館)に《もう一人いる私》出品。 |
| 2007年10月 | 64歳 | 日本美術「今」展〈東京藝術大学創立120周年記念企画〉(日本橋・三越本店)に《NELLA SABIA(砂の中)》(1982)が出品される。 |
| 2007年12月 | 64歳 | 絹谷幸二カレンダー原画小品展(日本橋・三越本店)開催。 |
| 2007年12月 | 64歳 | 旅展〈異文化との出会い、そして対話〉(六本木・国立新美術館)に《蒼天富獄龍宝図》が出品される。文化庁芸術家在外研修制度40周年記念〈文化庁芸術家在外研修の成果〉 |
| 2008年 | 65歳 | 年初、コロンビアの日本大使館の依頼で美術コンクール「ボテロ賞」の選考委員を務める。 |
| 2008年1月 | 65歳 | 絹谷幸二作品展(大阪・ギャラリースピカ)開催。 |
| 2008年1月 | 65歳 | 上海を訪問し、「日本・関西・奈良を語る集い」(上海ヒルトンホテル)にパネリストとして参加。 |
| 2008年2月 | 65歳 | 平城遷都1300年記念祭マスコットの選考委員をつとめる。 |
| 2008年5月10日 | 65歳 | 奈良県を訪れた胡錦濤中国国家主席の歓迎昼食会(県新公会堂)に出席。 |
| 2008年6月 | 65歳 | ソウルを訪問し、「日本・関西・奈良を語る集い」(ソウル・ロッテホテル)で講演をする。 |
| 2008年6月 | 65歳 | 東京メトロ副都心線開通記念に渋谷駅陶板壁画《きらきら渋谷》制作。 |
| 2008年6月 | 65歳 | 東京メトロ副都心線開業記念 パブリックアート展(クレアーレ青山アートフォーラム)に原画《きらきら渋谷》などが出品される。 |
| 2008年7月 | 65歳 | 第30回記念十果会(日本橋・高島屋)に《緑の大バランス》《旭日薔薇船出》を出品。 |
| 2008年9月 | 65歳 | 35歳以下の優れた若手画家を顕彰する具象系絵画の登竜門「絹谷幸二賞」を毎日新聞社主催で創設。優れた新進洋画家を輩出し1997年に第40回で終了した「安井賞」に代わるものとして毎日新聞社に提唱、実現した。(大賞賞金・諸経費として毎年300万円を拠金。) |
| 2008年9月 | 65歳 | 髙島屋美術部創設百年記念 絹谷幸二展−情熱の色・歓喜のまなざし(日本橋・髙島屋ほか)開催。 |
| 2008年10月 | 65歳 | 独立美術協会第76回展[六本木・国立新美術館]に《蒼天富嶽双龍飛翔》を出品。 |
| 2009年 | 65歳 | 《蒼天富岳龍宝図》制作。 |
| 2009年1月 | 65歳 | 『産経新聞』に「アートな匙加減」を連載。 |
| 2009年2月 | 66歳 | 第1回絹谷幸二賞が発表される。 |
| 2009年10月 | 66歳 | 独立美術協会第77回展[六本木・国立新美術館]に《薔薇の贈り物》出品。 |
| 2009年12月 | 66歳 | 絹谷幸二の世界展(岡山・天満屋本店ほか)開催。天満屋創業180周年記念 |
| 2010年 | 67歳 | 日中文化交流協会理事に就任。 |
| 2010年1月 | 67歳 | 東京藝術大学退任記念展、「絹谷幸二 生命の軌跡 ars vita esta・vita ars esta」展(東京藝術大学大学美術館)開催。 |
| 2010年2月 | 67歳 | ワンダーシニア30展〈現代日本の画家が描く、それぞれの昭和、平成〉(横須賀美術館)に《諧音の詐術》(1966)、《蒼に染まる想い(巡りくる時)》(2008)が出品される。 |
| 2010年3月 | 67歳 | 東京藝術大学教授を退任。 |
| 2010年4月 | 67歳 | 東京藝術大学名誉教授、大阪芸術大学教授となる。 |
| 2010年4月 | 67歳 | 輝け−独立美術〈独立美術協会80回記念展にむけて〉Vol.1(日本橋・三越本店)に《五月黄金富士》を出品。 |
| 2010年5月 | 67歳 | 上海万国博覧会の日本産業館パビリオン入口に天井画LED《日月天飛翔》制作。 |
| 2010年6月 | 67歳 | 日本美術家連盟理事に就任する。 |
| 2010年10月 | 67歳 | NHK衛星第2テレビ(BS2)番組・平城遷都一三〇〇年中継「あなたの知らない奈良〈美と風景と生き方の再発見物語〉」に出演。 |
| 2010年10月 | 67歳 | 独立美術協会第78回展(六本木・国立新美術館)に《発火激情(平和を祈る自画像)》出品。 |
| 2010年10月 | 67歳 | 絹谷幸二展〈夢みる力は生きる力〉(守口・京阪百貨店)開催。開業25周年記念 |
| 2010年10月 | 67歳 | 日本藝術院・大韓民国藝術院交流展(日本藝術院)に出品。 |
| 2011年1月 | 68歳 | 文化庁・日本芸術院主催「子ども 夢・アート・アカデミー」講師として全国の小・中・高等学校を訪問。2011年は35校で出張授業を行う。 |
| 2011年1月 | 68歳 | NHKラジオ番組・ラジオ深夜便「わたしのアート交遊録」(聞き手・石澤典夫)に出演、放送される。 |
| 2011年3月 | 68歳 | 東日本大震災、個展のための大作群を制作中であった。第3回絹谷幸二賞が発表されるが、授賞式は東日本大震災のため5月に延期となる。また、被災地をはじめ全国の小中学校・特別支援学校等を訪れて「子供 夢・アート・アカデミー」に積極的に取り組む。 |
| 2011年3月 | 68歳 | 絹谷幸二の世界展〈湧き上がる元気〉(姫路・山陽百貨店)開催。 |
| 2011年4月 | 68歳 | 輝け−独立美術〈独立美術協会80回記念展にむけて〉Vol.2(日本橋・三越本店)に《天空日月湖上富士》を出品。 |
| 2011年6月 | 68歳 | 東日本大震災被災地支援チャリティ展「文化人・芸能人の多彩な美術展」(鳴門・大塚国際美術館)に長嶋茂雄との合作《富嶽朝陽》を出品。 |
| 2011年6月 | 68歳 | 心・祈り・ふるさと日本 絹谷幸二展(日本橋・三越本店)開催。 《富嶽飛龍日月》《再生日本宝舟》《波乗り七福神》《双龍富岳朝陽》《旭日潮音七福神》《正夢・一富士二鷹三茄子》《日月万丈富嶽》《那智の滝八咫烏》 |
| 2011年10月 | 68歳 | 一宮市制90周年記念 特別展 絹谷幸二展(一宮市博物館)開催。 |
| 2011年10月 | 68歳 | 独立美術協会第79回展(六本木・国立新美術館)に《転依権現自画像》出品。 |
| 2011年11月 | 68歳 | 飛鳥アートプロジェクト2011「絹谷幸二・希望 飛鳥からの風」展(奈良県立万葉文化館)開催。 |
| 2012年 | 68歳 | 古事記の取材のため鹿児島から神武東征の瀬戸、鹿児島神社、野間岬、高天原、霧島、宮崎神宮、鵜戸神社、美々津などをめぐる。 |
| 2012年 | 68歳 | 《黄泉比良坂》《天の岩戸 魑魅魍魎跋扈》《天の岩戸 アメノウズメとタヂカラヲ》《天の岩戸 曙光》《アマテラス》《天孫降臨Ⅰ》《天孫降臨Ⅱ》《大和高天の原・天孫降臨》《国つ神 大国主神》《光輝 大和遠望》《大和心 ヤマトタケル》《叫び ヤマトタケル》《火中剣 草薙の剣》および立体作品《天の岩戸》《天孫降臨》《神武ヤタガラス》《ヤマトタケル》制作。 |
| 2012年8月 | 69歳 | 株式会社大和 創業90周年記念 絹谷幸二展(香林坊大和)開催。 |
| 2012年10月 | 69歳 | 独立美術協会第80回記念展に《緑に染まる想い出》を出品。 |
| 2012年10月 | 69歳 | 美悠久・夢無辺 絹谷幸二展(日本橋・髙島屋)開催。翌年1月まで大阪、京都、横浜、名古屋、岐阜の高島屋を巡回する。 |
| 2012年10月20日- 12月16日 | 69歳 | 『古事記編纂1300年記念特別展 絹谷幸二~豊穣なるイメージ~』(奈良県立美術館)開催。絹谷芸術の形成、開花、飛躍を辿る代表作とともに、主催者の依頼により日本各地を取材・制作した立体作品を含む大連作〈古事記シリーズ〉20点を発表。 |
| 2013年 | 69歳 | 第81回独立展に《祝・飛龍不二法門》出品。 |
| 2013年2月 | 70歳 | NHKテレビ番組・日曜美術館「洋画家絹谷幸二 祈りのカンバス〈無著・世親菩薩への挑戦〉」に出演・放映される。 |
| 2013年4月13日- 6月2日 | 70歳 | 「絹谷幸二展 希望のイメージ」(平塚市美術館)開催。 |
| 2013年5月 | 70歳 | 日本洋画壇を牽引してきた実力作家11名による「現代洋画サミット11展」(日本橋・三越本店)が発足、出品。以後毎年5月に開催され出品を重ねる。 |
| 2013年7月 | 70歳 | NHK教育テレビ(Eテレ)番組・こころの時代〈宗教・人生〉に出演・放映される。 |
| 2013年10月 | 70歳 | シンポジウム「文化省の創設を考える〈二〇二〇年、文化芸術立国の実現に向けて〉」(新橋・東京美術倶楽部)の問題提起を行う。 |
| 2014年3月 | 71歳 | あべのハルカスグランドオープン記念 絹谷幸二展(あべのハルカス近鉄本店)開催。 |
| 2014年8月 | 71歳 | 独立美術協会の画友17名とのグループ展「センセーションズ セブンティーン〈絹谷幸二と17人の仲間たち〉」(日本橋・三越本店)が発足、出品。 |
| 2014年10月 | 71歳 | 第82回独立展に《不動明王・阿吽》出品。 |
| 2014年11月3日 | 71歳 | 平成26年度文化功労者となる。 |
| 2015年 | 71歳 | 日中観光文化交流団団長として訪中。 |
| 2015年3月 | 72歳 | 第66回日本放送協会 放送文化賞受賞。 |
| 2015年4月 | 72歳 | 文化功労者顕彰記念 絹谷幸二展(日本橋・三越ほか)が開催され、大作《黄金背景富嶽旭日雷神・風神》などを出品。 |
| 2015年10月 | 72歳 | 開館40周年記念−生命の讃歌−絹谷幸二展(伊東・池田20世紀美術館)開催。 |
| 2015年11月 | 72歳 | 『日本経済新聞』文化欄の「私の履歴書」を執筆、1カ月(全29回)連載される。 |
| 2016年4月 | 73歳 | 日本大学三軒茶屋キャンパスに大作壁画《朝陽日本一爛満湖上富士》完成。 |
| 2016年7月 | 73歳 | 絹谷幸二著『絹谷幸二自伝』(日本経済新聞社)刊行。 |
| 2016年10月 | 73歳 | 第84回独立美術協会展に《黄泉比坂》を出品 |
| 2016年12月 | 73歳 | 梅田スカイビルタワーウエスト27階に「絹谷幸二 天空美術館」が開館 |
| 2017年6月 | 74歳 | 絹谷香菜子との共作《生命輝く》を製作 |
| 2017年8月22日- 2017年10月15日 | 74歳 | 京都国立近代美術館にて「絹谷幸二 色彩とイメージの旅」開催 |
